tsukemen.jpg
つけ麺発祥の店とされる大勝軒

中野大勝軒で働いていた山岸氏が当時の賄いから発想し
「もりそば」を考案したといわれています。

この「もりそば」がつけ麺の発祥とされています。

山岸氏は1961年に独立し東池袋大勝軒を開店しています。

しかし、山岸氏が2015年4月に無くなったのち、のれん分け された70店舗が分裂の危機に瀕しています。

東池袋大勝軒の二代目を中心とする「のれん会」に対し
「大勝軒 味と心を守る会」それぞれ約30店舗程が激しく
対立している状況です。

もともとの本家である中野大勝軒の店主坂口氏
(中野大勝軒創業者の息子、山岸氏とははとこ)が
仲裁に乗り出すも確執がなくなりそうもありません。
そもそも、なぜ東池袋大勝軒からのれん分けされた 約70店舗が山岸氏の死去に伴い分裂することになったの でしょうか?
スポンサードリンク




大勝軒分裂の騒動が大きくなったのは、山岸氏の葬儀の時でした。

一説には、山岸氏の葬儀を身内だけで行うため、弟子には一切葬儀の
日程を直前まで知らせなかったばかりか、火葬場に集まった弟子たちを
一時入場拒否したようです。

そんな中二代目の飯野氏だけが参列し、そもそもの入場拒否も彼が指示した
と言われています。

ですが、それだけが原因ではなく、葬儀の件は山岸氏の死去も伴い
弟子たちの不満が抑えきれなくなったことでしょう。

のれん会、味と心を守る会それぞれの言い分を見てみましょう。

守る会
「飯野さんが勝手に2代目を名乗り始めてから、大勝軒は徐々におかしくなっていった。商売にウエートを置くようになり、オートメーション化を進め、本店の味が落ちていきました。『まずくなった』と苦情が来るほどです。また、メディア取材や新メニューを出す際、のれん会側の許可が必要になるなどマスター(山岸氏)の方針とは異なることが次々に起きた。のれん会はマスターの葬儀にすら出させてくれなかった。これまでマスターがいたから我慢していましたが、愛想を尽かして出て行こうとなったのです」

飯野氏(東池袋大勝軒二代目)
「彼らはいろいろな勘違いをしているのだと思います。みんな山岸をリスペクトしていることは一緒で、対立するつもりはありません。私も心の中では彼らを応援していますよ。2代目として大きな気持ちを持って、後は自然の成り行きに任せたいと思います」

引用元:日刊ゲンダイ(http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/165258/2)


どうも、色々と調べていくと飯野氏側のやり方や人柄に問題があるようです。

東池袋大勝軒二代目についても、東池袋大勝軒が区画整理によって閉店したのち
近くに開店し、勝手に山岸氏を役員にし二代目を強引に名乗ったという話も
ありますし、

山岸氏が正式に任命したものの、その際「弟子たちをまとめられる人物が
いないから、飯野氏にまかしてみる。」

と言ったともいわれています。

まあ、飯野氏だけの問題でなく、飯野氏にかわって山岸氏や弟子達の信頼を 得られるほどの人物がいなかったというのも問題なのでしょう。

騒動はともかく、私たちとしては美味しいラーメンが食べられれば
それでOKですよね。

最近では店によって味が違うなんてことも言われていますし。。

山岸氏は弟子の独立に際しては、数百万円ののれん代を請求するところも
あるなか、ただでのれん分けしてあげていました。

生前にはその人柄から全国から300人以上が弟子入りしたとも言われています。

味と心を守る会ではないですが、山岸氏の気持ちを考えると今の確執を
早く取り除き、全国どこの大勝軒でもおいしいラーメンを気持ちよく
食べれるようになってほしいですね。

関連記事
大勝軒分裂分布図 | 泥沼化のれん会の真相

スポンサードリンク


 カテゴリ

 タグ